カンボジアの闇の歴史を知ろう、ポル・ポト政権が残した爪痕

世界遺産アンコールワットを訪れるためにカンボジアを訪れる観光客は世界中から集まります。筆者もカンボジアを訪れた最大の理由はアンコール遺跡でした。しかし、わずか40年ほど前にカンボジアでは歴史的に忘れることのできない黒い歴史が作られました。カンボジアを思い出すとき、今も最初に頭に出てくるのは遺跡を訪れた日ではなく、その歴史を垣間見た日のことです。
今日はカンボジアのポル・ポト政権について紹介します。

ポル・ポトというのは1970年代後半、カンボジアで独裁政権を握っていた首相のことです。カンボジア共産党、いわゆるクメール・ルージュの書記長でもあったポル・ポトはカンボジアにおける全権掌握後、完全なる共産主義社会を作り上げ、カンボジア人の大量殺戮を行いました。旧政権に携わっていた人たちだけでなく、富裕層や知識人を殺し、人々を強制労働に駆り出し、最終的にこの大量虐殺において殺された人は170万人にも及ぶと推定されています。

たった40年前。現在のカンボジアには、当時を生きた人たちが数多く生活しています。両親がポル・ポト政権下で殺された子供達が大人になっています。筆者がカンボジアで出会った現地ツアーガイドも、両親を当時に無くしていました。教師や医者など、知識人と考えられる人々は一人残らず殺され、めがねをかけているだけでたくさん勉強して目が悪くなったと判断され、殺されたそうです。悲しすぎる過去ですが、それを語り、今を強く生きる彼らに感銘を受けます。

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ポル・ポト政権時代の大量虐殺の爪あとが深く刻まれている場所で、代表的な場所は二つ。キリング・フィールドとトゥール・スレンです。
キリング・フィールドは処刑場。大量に殺された人々は、まるでゴミのようにまとめて埋められました。現在は、掘り起こされた穴のあとがまるでクレーターのように残り、異様な光景を魅せています。敷地内を歩いていると、土からは端切れ布のようなものが見えていたりする場所があります。殺された人々が着ていた服のかけらが、中途半端に土に埋もれたままになっているものです。今、この時代に訪れてもまだ当時から残るものがこのような形で見えることは、ただの歴史博物館を見るよりもずっと重く圧し掛かってきます。
中でも筆者が心を痛めたのは、ある一本の木。その木の隣には、小さく囲われた穴があり、子供達ばかりが埋められた穴であるという説明書きが横に立っています。現地ガイドは、その木の少し高い部分を指差しました。一部が黒っぽくなっています。それは、殺された子供達の血。銃などの武器を使うとその分お金がかかるため、子供達は脚を持って頭を木に打ち付けられ殺されたというのです。木は現在も育ち続け、当時の血の跡は今は随分高い位置になりました。写真がなくても絵がなくても、その木一本が、当時のおぞましい光景を目の前に見せてきます。子供達とその親達がどんな思いだったか、想像もできません。

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トゥール・スレンは政治犯の収容所だったところです。元々は学校だったため、その外観は特に特徴のない殺風景なものですが、現在は虐殺犯罪博物館となっており、中には当時のまま残されている部分もあります。拷問のためにくくりつけられていた台には今も血の跡が残り、トイレのように狭い独房がいくつも並んでいます。人骨も展示されています。人が殺されすぎたために、誰の人骨かわからないものは数え切れません。

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世界にはおぞましい歴史と事実がたくさんあり、ポル・ポト政権下による大量虐殺の歴史はそのうちの一つに過ぎません。しかし、まだまだ新しい歴史であるため、全てが生々しいのです。カンボジアを訪れる機会があれば、是非この恐ろしい歴史の事実を知り、現地で感じてみてください。きっと、良い経験になることでしょう。

ふぅ
大学時代、将来の夢がなくても、英語が出来れば将来役に立つ!と言われた1ヶ月後、人生初海外のオーストラリアへ短期留学。自分がいた世界の小ささに気付き、そこから旅を始める。バックパッカーで旅をした総期間は3年。旅を通じて習得した英語を磨き、英語教授法TESOL習得後、英会話教師となる。旅中で出会ったフランス人と結婚し、現在1児の母。

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