LIFE

幸せは探すものじゃなく、気づくもの

町田陽子

 南仏の人たちを見ていると、私も含めて、なんて日本人は幸せ下手なのかしらと思います。たとえば、先日も、友人のヴァレリーがうちに入ってくるなり、
「ヨーコ、すっごいニュースよ! 私、昇進したの! これから私、チーフなのよ! あぁ、なんて人生って美しいのかしら!」と、くるくる踊りながら、有頂天にはしゃいでいる様子を見ると、自分はとてもこんな風に幸せに酔いしれるなんてできないと思うのです。

 はたまた、私が疲れはてて休んでいた日、相棒のダヴィッドが電話中の友人に「あ、いま僕のプリンセスがベッドで食事中なんだけど、どうやら足りなかったようで呼ばれたから、あとでまた電話する」とうれしそうに言っているのが隣の部屋から聞こえてくる。たしかに、彼の携帯に「おかわり!」とメッセージを送ったのは私ですが、まさか人にそれを話すなんて! ウザいと怒られるかと思いきや、どうやら、そんなところに幸せを感じている様子なのです。

 フランス人のなかにいると、幸せを感じとる彼らの才能に感心することがしばしばあります。自分の手の中にある幸せを、ちゃんと感知できる。たしかに、身近にある幸せに気づかず、どこにあるかもわからない漠然とした巨大な幸福を夢見続けるなんて、もったいない。幸せは、探しているうちは見つからない。探すものじゃなくて、気づくものなんです。上手に気づける人が、幸せ上手といえるかもしれません。

 そしてまた、物事のよい面を見られるというのも、幸せ上手な人の特徴。ヴァレリーにしたって、昇進によるストレスなんてまるで気にしていません。そのときがきたら、まちがいなく、落ち込んだりイライラしたりするのでしょうが、そんなのは、そのとき対処すればいいだけのこと。わざわざ先回りして心配し、せっかくの幸運をブルーな気分で台無しにするなんて、ナンセンス。

 幸せ度をアップするには、五感を意識して、感性、感度をあげることが大切な気がします。感覚というのは、磨けば磨くだけ研ぎ澄まされていくものです。

味覚なら、まずは食事をきちんと味わってみることから始めたい。ちゃんととった出汁でお味噌汁を味わってみるとか、ていねいにお茶をいれてみるとか。お金や時間をかけなくても、普段の食事を意識して味わうだけで、感じることが違ってきます。

触覚なら、愛する人とハグしたり、動物と触れ合ってみたり、シーツを1枚上質なリネンのものに取り替えて肌触りを感じてみるとか。

聴覚なら、朝、少しだけ早く起きて鳥の歌声を聞いてみたり、雨音や水音や風の音に耳を澄ましてみる。

嗅覚なら、道端に咲く花の香りを嗅いでみたり、プランターでハーブをいくつか育てて香りのある料理を作ってみたり。あるいは、洗濯物の太陽の匂いを吸い込んでみる。

視覚なら、仕事の途中でも屋上に上って夕焼け空を眺めたり、たまには星空がきれいな場所へ足をのばしてみたりするのもロマンティック。

東京で暮らしていたときは、こんなことは考えたこともありませんでしたが、そういった一つ一つのことで幸福感も増していくのだと、プロヴァンスが気づかせてくれました。

 自分も大きな自然の中で生かされていることを体や心で感じると、ささいなことなんかどうでもよくなってきます。小さな失敗も、ちょっとした口喧嘩も。
 人の悪口ばかり言っている人やネガティブなものからは遠ざかり、自分の信じられる人と、信じられる道を歩けばいい。瑣末なことで心を悩ませるのが人間ではあるし、私もどちらかというとクヨクヨするタイプではあるけれど、プロヴァンスに来てからは、精一杯やったら、あとはなるようになるさ、なるようにしかならないさ、と考えられるようになりました。

 自由に、自分自身も変わっていけばいいと思うのです。私はこういう人間だからと決めつけず、そのときどきの思いを大切に、ありのままの自分を受け止め、雲の流れのように、川の流れのように、自在に変化していく。そして、流れ去ったあとのことは振り返らず、いらなくなったものや重たく感じるものは、脱ぎ捨てていくのがいい。セミが脱皮するように、私たち人間だって、どんどん脱皮すればいいのだと思います。

 この連載も今回が最後となりました。みなさまがますます幸せになり、幸せを周りの人たちにおすそ分けすることで、さらに心豊かな人生を愉しまれますように!

深緑が美しい5月のプロヴァンス、
リル・シュル・ラ・ソルグより
感謝を込めて。

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