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The story of Tereza Lee : アメリカの影の中から現れたピアニスト

Kazue Patton

五月のある日曜日の午後、私は友人でクラシカルピアニストのTereza Lee(テレーザ・リー)のDMAコンサートが行われるManhattan School of Musicへ出かけた。この音楽大学は1917年に創立されたアメリカの名門コンサーバトリーの一つ。世界中から優秀な若手演奏家達が集まりここで切磋琢磨している。校舎はモーニングサイドハイツにあるコロンビア大学のキャンパスの丁度外れにある。受付の指示通りに迷路の様な廊下を進み、大ホール前のロビーを抜け、中小のリサイタルホールのロビーへ出た。目的のThe William R. and Irene D. Miller Recital Hallはその中の一つ。私の大学は美術大学だから美術館があったが、音楽大学にはコンサートホールが三つ四つあるのが当たり前なのだ。入り口でプログラムを貰い中へ入る。ミラーリサイタルホールは明るい木目の壁で統一されておりモダンで瀟洒な空間だ。

Manhattan School Of Music : http://www.msmnyc.edu/

Manhattan School Of Music : http://www.msmnyc.edu/

Tereza Lee, Piano

CHARLES GRIFFES (1884-1920) Roman Sketches, Op. 7
The White Peacock
Nightfall
The Fountain of the Acqua Paola
Clouds

GEORGE GERSHWIN (1898-1937) Rhapsody in Blue

Intermission

FREDERIC RZEWSKI (b. 1938) North American Ballads
Dreadful Memories
Which Side Are You On?
Down by the Riverside
Winnsboro Cotton Mill Blues

ART TATUM (1909-1956) Tiger Rag

テレーザは一児の母であるが、彼女がステージに現れた時、既に二人目を宿しているのが明らかだった。客席からも5ヶ月位ではないかと思われ、私は嬉しい驚きと共に少し不安を覚えた。テレーザは、「今夜はこのステージに二人のパフォーマーがいます。私と私の赤ちゃんです。」と言って、大きなお腹をポンポンと優しくたたいた。彼女は笑顔で観客に応え静かに座り、作曲家や曲の解説、詩を朗読し、オーディエンスの理解が深まるように音の世界を空間いっぱいに紡ぎ出していった。

今回のプログラムは1900年代の現代音楽に絞られている。ジョージ・ガーシュインとアート・テイタムは言わずと知れたジャズミュージシャンだが、クラシック界の現代音楽は私には未知の世界。チャールズ・グリフィスの「ローマンスケッチ」はそれでも印象派の絵画を音にした様なリリカルな美しい楽曲で分かりやすく、サティやドビュッシーの世界に近い。

ジョージ・ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」はオーケストラのバージョンがとても有名。ユナイテッドエアラインズの機内放送や日本のテレビCMでもよく使われている。実はガーシュインが作曲してシンフォニーの譜面を書き上げた時、オーケストラを雇うお金がなく、ピアノだけで再現できる様にピアノヴァージョンの譜面を作ったそうだ。ジャズ特有の4ビートのスイング感を必要とし、14分半に及ぶオーケストラ演奏を10本の指と鍵盤でそのオケのサウンドを再現するので、高度なテクニックを要する作品になっている。

そして、今回私が衝撃を受けたフレデリック・ジェフスキーの「ノース・アメリカン・バラード」は不協和音を多用した現代音楽。存命の彼は今もヨーロッパで教鞭をとっているが、ピアノという楽器の限界や使い方に挑戦している様に感じた。別の言葉で言うと、ピアノで効果音や擬音をサウンドさせる実験音楽。それも美や自然とか調和ではなく、どちらかというと苦しみや叫び、重金属等のネガティブなものの効果音だ。その為ピアノを手指だけで無く腕で弾いたりもするので、聴いている者が重苦しいまでの音の洪水に包まれ、押しつぶされそうな気分になる。

アート・テイタムは盲目のジャズピアニストで豪快なストライド奏法と早弾きでそのテクニックを見せつけ、ホロウィッツやトスカニーニも絶賛したピアニスト。彼の「タイガー・ラグ」は2分強と短い曲だが、スピードと集中力を要する作品だ。顔を真っ赤にしながら、最後の「タイガー・ラグ」を一気に弾き終えたテレーザ。まるで短距離を走りおえたスプリンターの様な荒い呼吸をして、オーディエンスの拍手喝采に応えていたのが印象的だった。

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実は彼女を単に才能あるピアニストというだけでは語れない、彼女はアメリカでドリーマーと呼ばれる特別な学生の代表である。ここで彼女の生い立ちをざっくりご説明してからインタビューをご紹介したい。

テレーザ・リーは、朝鮮戦争で荒廃した韓国から新天地を求めブラジルへ移民した両親の間に生まれた。長老派教会の牧師である彼女の父親は、彼女が2歳の時にブラジルからシカゴへ移住。そこで大規模な教会を運営することが出来なかった為に永住権の取得が叶わず、不法移民となり家族は困窮を極めた。

テレーザはシカゴ市内の北部で育った。そして幼い子供を育てるのに、最適とは言い難い環境だった。彼女自身が不法移民であることを知ったのは、12歳になってからの事だ。7歳の時に父の教会の信者からピアノを譲り受け、8歳になるまでには教会や学校のコーラスの伴奏をするまでになり、地元のピアノコンペティションで受賞を重ねるようになった。16歳の時に*メリットスクールの奨学金を獲得。本格的にピアノを学び一年後には、シカゴ・シンフォニーオーケストラ(以下CSOと表記)のユース・コンチェルト・コンペティションに優勝。CSOのソリストとしてチャイコフスキー・ピアノコンチェルト第一番を演奏。NYではソリストとしてスタンウェイホール、バージミュージックやリンカーンセンターに出演。やがて全米のトップクラスの音楽大学数校から入学を認められるが、不法移民の為に実際には入学の書類手続きを進めることができなかった。

彼女のような学生の大学入学手続きを禁止する法律は無いが、多くの大学は保守的な高額寄付者や財界に配慮する為か、このような学生の入学手続きを躊躇する実態がある。そのような社会環境の中、メリットスクールのディレクターがシカゴの上院議員にテレーザの事を訴え、その甲斐あってテレーザはマンハッタンスクール・オブ・ミュージックに入学することが叶った。更にテレーザは同大学の全学内コンペティションにおいて、新入生で優勝するという大学創立以来初の快挙を果たし、同大学のオーケストラと共演も果たすに至った。現在は同大学の博士課程に籍を置きながら、同大学で教鞭を取っている。

*メリットスクール:http://meritmusic.org/
1979年にシカゴに設立されたNPO。経済的に恵まれない子供達に無償で楽器演奏や歌唱を指導する音楽学校。毎週土曜日のスクーリングやサマーキャンプ等色々なコースがある。

《DMAコンサート、DREAM Act、子育てについて、ご本人にインタビュー》

Kazue: コンサートで演奏した全曲が体力的にとても大変そうでしたが、お腹の中の赤ちゃんに影響はありませんでしたか?逆にお腹の赤ちゃんが演奏に影響するということはありませんでしたか?

Tereza: 演奏家になるためのトレーニングは自分の持続力や忍耐への挑戦のようなもので、オリンピック選手のトレーニングに近いかもしれません。女性は実はとても強くて沢山のことに耐えられる素質があると思います。私はお腹の赤ちゃんが私の演奏の邪魔をしたとは思わなかったし、それよりもこの数ヶ月このコンサートに向けて効率良く練習するのを助けてくれたと思います。

Kazue: 新しい曲を始める時、特別な練習法はあるのですか?

Tereza: 色々なやり方がありますが、普通は初見で最初から最後まで全部演奏します。無調性の訳のわからない様な曲でも、通しでの演奏は出来るだけ正確に何回か弾いてみます。少しずつ理解が深まってきて、構造が見えてきて、音の背後にあるストーリーが見えてきます。練習に時間を多く費やさない為に役立つのは常に集中すること。文字通り脳にプログラミングする感じで、ある程度のものを特定の方法で覚えていきます。

Kazue: 今回のコンサートはD.M.A.コンサートという事でしたが、D.M.A.について簡単に説明をお願いします。またその資格条件はどのようなものですか?

Tereza: D.M.A.とは“Doctor of Musical Arts(音楽芸術博士号)”の略です。近年よりハイレベルな教育を修めた人材を求める教育現場が増えており、世界中でD.M.A.を提供するコンサーバトリー(音楽大学)が増えています。D.M.A.を目指す人達の多くは教育者への道を進みますが、正にそれこそが私がD.M.A.取得を決意した理由です。Manhattan School of Musicでは試験と面接を含む、ライブオーディションに合格する必要があります。毎年およそ千人弱の応募の中から、二人から五人ほどが選ばれ、音楽芸術博士号取得にはソロコンサート、面接試験、筆記試験、学術論文を全てクリアする必要があります。私の場合はあと三年かかります。

Kazue: コンサートではどれも大曲でしたが、どの曲がお気に入りですか?それは何故ですか?

Tereza: 自分が選んだので全部好きです。強いて言うならジェフスキー(Rzewski)の曲です。観客からもの凄く反応がありましたし。私は曲を演奏する前に作曲家と、その曲について少し話すことが好きです。このジェフスキーの楽曲は、2つの黒人霊歌と2つの労働組合労働歌からなる4つの古いアメリカの歌から構成されていますが、それぞれのサウンドから奴隷達が主人たちのもとで過酷な労役でもがいている様子や、工場労働者達が機械を動かしながら賃金引き上げや労働環境の向上を訴えているのが聞こえてきます。これらの曲は特に生の演奏で聞くと強烈なパワーを感じます。

Kazue: プログラムの中で一番の挑戦だった、又は難しかった曲はどれですか?

Tereza: もう、これは何と言ってもジェフスキーですね。大勢の人々の叫びや呻き声を表現したメロディーを異なる調で同時進行させ、無調性の感覚を創ります。この無数に折り重なった声のメッセージを混沌とした音の塊から手繰り出して、しかも理にかなう様にする作業。更にそれを全部暗譜するというのが大変難しかったです。

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Kazue: あなたにとってピアノとは?

Tereza: ピアノを弾くという事が、今までの人生の最大の困難を乗り越える事を可能にしました。ピアノが無かったら今の自分は存在していません。私の家族が貧困で本当に悲惨な状況にあった時、十代の私が家賃や生活費の支払いを補う事が出来たのも、あちこちの演奏会でピアノを弾く事が出来たからです。私は不法移民の子だからもう大学には進学できないと思った時、とても大きなコンペティションに優勝した事が政治家や官僚の注目を引きました、そしてシカゴの上院議員が私の為に個人的に法律を草案し議会に提出した事で、私は大学にフルスカラシップで入学する事ができました。後にその法案がDREAM Act(不法移民の子供でも極めて優秀であれば就学を認める法律)として知られる様になります。

Kazue: ご自分が不法移民だと知った時、どう思いましたか?

Tereza: 両親から聞かされた時、私は幼く高校に入るまでその意味を深く理解していませんでした。唯一認識していたのは、誰かに不法移民だと知られたら両親は韓国へ、私は知り合いも無く言葉も全くわからない、出生国であるブラジルへ強制送還になるという事です。私達はいつも周囲に怯えて暮らしていました。

Kazue: アメリカのビザが取得できなかった時、韓国へ帰国する選択は無かったのでしょうか?

Tereza: 私の両親が多くの韓国人と共に移民を決意したのは、財産や農地、家や仕事を朝鮮戦争で全て失ったからです。アメリカに到着した時、私の両親は貧乏のどん底でお金が無く、そこから何処へも移動する事ができませんでした。当時乳飲み子だった弟のミルクを買う事すらできませんでしたから。また、父はシカゴに来た時に宗教活動家ビザから永住権を申請していましたが、結果的には不完全なアメリカの移民システムにより、父の努力の全てが無駄になりました。

Kazue: DREAM Act(ドリームアクト)は未だに議会を通過していませんが、あなたがManhattan School of Musicに入学できたのはなぜでしょうか?

Tereza: DREAM Actの第一段階は2001年に議会に持ち込まれ、当時法案成立に60%以上の見込みがありました。その可能性にかけて、大学が私を受け入れてくれたんです。DREAM Actに関する上院議員の公聴会が2001年9月12日に開かれる予定でしたが、前日に起こった9.11のテロによりキャンセルになり2013年に延期になってしまいました。今では殆どの大学が、DREAM Actの条件を満たす不法移民の学生達を受け入れています。

Kazue: DREAM Actの法律制定まで、今後もアクティビストとして活動を続けますか?

Tereza: DREAM Actと包括的な移民法改訂が通過する迄訴え続け、支援していきます。

Kazue: ご自身は大学卒業後にジャズミュージシャンであるご主人と結婚してアメリカの市民権を取得された訳ですが、貴方の音楽性になんらかの影響はありましたか?

Tereza: 勿論あります。人は愛する人に似てくると言われますが、それは私たちには当てはまると思います。私のジャズに対する想いや理解は大きくなっています。私がこのコンサートで演奏したガーシュウィン、アート・テイタム、ジェフスキーの楽曲にはジャズのエレメントがあります。やはり日々の家庭生活で流れているジャズに強く影響されています。

Kazue: ご自身が妊娠された時、博士号取得と子育ての両方をすることに自信はありましたか?

Tereza: はい。もともと私たちは子供を望んでいたので、夫共々とても忙しいスケジュールをこなして子育てをしています。だから2歳になる息子は日中でも絶えずどちらかと一緒です。そして今年の10月には二人目の赤ちゃんがやってきます。

Kazue: 出産後に何か変化はありましたか?

Tereza: ありました。まず自分の人生というものが自分の為、パートナーとの為だけで無くなったこと、共に創造したもう一人の人間の為にもあるということです。もう一つの大きな変化は私の女性に対する理解と尊敬の念が増したことです。自分自身が女性だということに誇りを感じるようになったし、以前より自分に強さや大胆さ、自信を感じるようになりました。

Kazue: バランス良く仕事、コンサート、育児、ペット(猫2匹、インコ2羽)の世話、家事をこなすことに難しさを感じますか?また、何が秘訣だと思いますか?

Tereza: 自分の優先順位に気がつくことが鍵です。私の場合は家族、次に睡眠時間、そうすると他の全てがおのずと落ち着いてきます。私は多くの事をこだわりすぎずにやり過ごすという事も習得しました。

Kazue: 日本の人口減少の原因の一つに、入園希望児童の数に対して保育園、保育士の数が中々増えないことが問題になっています。アメリカの市民行政にたいして、何を子育て支援で求めますか?

Tereza: アメリカは乳児や幼児、児童の成長を促すプログラムの向上が必須だと思います。良心的な費用で質の良いケアが受けられる保育園や児童施設も不足しています。私は主人と交代で息子の面倒を見る事が出来るのでいい方だと思っています。

Kazue: 日本で出産育児を考えている、共働きの夫婦にコメントをお願いします。

Tereza: 赤ちゃんは貴方の生活をガラッと変えます。そして貴方が予想もしなかった新しい試練を沢山もたらします。でも、そんな子育てがもたらす愛と喜びが私にとっては人生一番の部分になっています。

テレーザはピアノだけでなく、高校のオーケストラでバイオリンとチェロ、マーチンググバンドでグロッケンを演奏していたそう。今はギターに興味があり、ご主人から遂にプレゼントされたらしい。ピアノは今後も1900年代のアメリカ人作曲家の曲を追求したいそうで、沢山の作曲家の名前がリストに名を連ねているらしいが、ジェフスキーの“The People United Will Never Be Defeated”は絶対に弾きたいとの事。

彼女曰く、上質な楽曲とはストーリーを語ることが出来、優れた演奏家は正にその通りに語ることが出来るのだそうだ。そして、そういう曲が好きなのだと言う彼女。私はクラシック音楽の楽譜が偉大な作曲家からのメッセージや遺言のような物に感じられてきた。そして演奏するということは、譜面に隠された暗号をデコードする作業のことなのかもしれない。これからもテレーザは私たちに素晴らしい物語を語ってくれるだろう、彼女自身のストーリーと共に。

Tereza Leeオフィシャルサイト
http://www.terezalee.com/

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