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Jimmy Heath at 90 : ジャズの巨匠ジミー・ヒース90歳は今も現役

Kazue Patton

2017年、高齢者の年齢定義が引き上げられることが話題になっている日本。90歳以上は超高齢者となるそうですね。2016年はアメリカでもジャズヴォーカリストのトニー・ベネット氏が90歳を迎え、記念アルバム“The Best Is Yet To Come”が世界で発売され、盛大なコンサートが全米にオンエアされたのが記憶にも新しいところです。友人が昔同じコンドミニアムに住んでいた関係で、私もトニーとロビーで立ち話をしたことがありますが、オフの日はアトリエで精力的に絵を描いているチャーミングな老紳士という感じでした。思ったより小柄で初対面の私にもとてもフレンドリーに接してくださった人柄にとても感激した記憶があります。

さて身近にもう一人とても元気な超高齢者がいます。私と主人のジェブが家族同様にお世話になっている作詞作曲家、アレンジャー、教育者、バンドリーダーであり、サックス奏者のジミー・ヒースも昨年10月に90歳を迎えられました。昨年10月から11月にかけて、ニューヨークのJazz at Lincoln Center、ワシントンD.C.のケネディーセンターと立て続けにジミーの90歳を祝うスペシャルコンサートが開かれました。今回はその模様と舞台裏を少しご紹介します。冒頭の写真はリカーンセンターにあるThe Appel Room。演奏が始まる直前のJimmy Heath Big Bandです。丁度MCがジミーを紹介している所で、まだジミーはステージに現れていません。

ジミーは1940年代から、Miles Davis(Tp), Blue Mitchel(Tp), Kenny Dorham(Tp), Freddie Hubbard(Tp), J.J. Johnson(Tb), Milt Jackson(Viv), Ray Brown(B), Sam Jones(B), Sonny Rollins(Ts), John Coltrane(Ts)他、数えてもきりが無いほどのジャズジャイアンツと共演、共にジャズの黄金期を牽引し、今も現役のジャズミュージシャンです。Modern Jazz Quartetでも有名なベーシストの(故)Percy Heathは3歳上の兄、ドラマーのAlbert“Tootie”Heathは9歳離れた弟です。

Jimmy Heathのオフィシャルウェブサイトはこちら
http://jimmyheath.com/

ジミーは1998年にNY市立クイーンズカレッジのマスターコースの教授職を退職しましたが、演奏活動以外はMacとエレクトリックピアノがセットされた書斎で、毎日の様に作詞作曲やビッグバンドのアレンジメントを創っています。因みに彼が使用しているミュージックソフトはフィナーレ。時々ジミーは新曲やアレンジメントの意見を聞く為にジェブを呼び出します。そんな時はジェブも自作の新曲やアレンジメントを持参して、ジミーの意見を聞きます。ジェブはクイーンズカレッジでジミーの最後の方の教え子でしたが、大学院卒業以来The Heath Brothers, Jimmy Heath Big Bandのピアニストになり、今では親子の様な関係です。茶目っ気のある彼はステージでジェブを紹介する時に、「昔は教え子だったけど、今は僕の先生だよ。」と言うことがあります。世界中の誰もがジャズジャイアンツと認める彼ですが、ジャズという音楽を真摯に追求する同胞には年齢も性別も分け隔てをせずリスペクトし、また常にフェアです。ジミーは数多くの作曲作品があり、世界中のビバップ・ジャズシーンで演奏されるスタンダーズになっています。そんな彼も毎年クリスマスが近づく度に机に向かうそうですが、数々の名曲を超えるクリスマスソングは未だ作曲できていないと言います。何歳になっても常に自分の世界を追求すること、課題を持ってチャレンジし続ける姿勢がとても大切だと言うことを教えてくれます。

ワシントンD.C.のケネディーセンターでのコンサートは、NYのコンサートに引き続き盛大に行われ、ゲストもHerbie Hancock(P), Stanly Cowell(P), Tony Purrone(G), Albert“Tootie”Heath(Ds)等、錚々たるぶれ。そうそう、NYではSlide Hanpton(Tb)も祝辞を述べていました。彼らは若かりし頃にジミーとバンドを組み、演奏活動やレコーディングを重ねてきた同僚です。彼らそのものがジャズ界の歴史、日本でいうところの人間国宝と言っても過言では無いでしょう。

演奏プログラムの代わりに演奏開始前に楽屋に張り出されたギグリストの写真を撮りました。太字が曲名で全てジミーのオリジナル曲です。私はジミーが母アリシアに捧げた“A Mother’s Love,”リオデジャネイロの夜明けにインスパイアされた“The Rio Dawn,”彼の息子さんジェフリーに捧げた“Ginger Bread Boy”が好きです。

“The Rio Dawn”は私のファーストアルバム“Dream Flight”にも収録されているので、興味のある方は聴いてみてくださいね。
https://itunes.apple.com/us/album/dream-flight/id659236826

最後のフィナーレではステージと客席でハッピーバースデーの大合唱。ケーキに何故か2本立っていたキャンドルの一つを弟のトゥーディーに渡して、二人で一緒に吹き消していたのがまるで小さな子供の様で印象的でした。写真中央でケーキの後ろに立っている小柄な紳士がジミー、帽子を被って彼と戯れているのがトゥーディーです。

演奏終了後の楽屋はミュージシャンと関係者で溢れて大賑わい。この様な多くのミュージシャンが一同に会すコンサートでは、同窓会の様な雰囲気になります。楽屋では大きなバースデーケーキが皆なに振舞われました。無くなる前に写真を撮っておいて大正解。これが意外と美味しかったので、あっという間に半分以上消えていました。この後、話し足りないミュージシャン達は宿泊先のWatergate Hotel(ニクソン大統領が辞任に追い込まれた『ウォーターゲート事件/1972年』のあったホテル)のラウンジに場所を移し、ジミーを囲んでファンや仲間と遅くまで語り合いました。

宴も一瞬の夢の様に終わり、翌朝ミュージシャン達はそれぞれの次の目的地へ向けて出発です。ビッグバンドメンバーとその家族はバンド専用ツアーバスに乗り込み一路NYへ戻ります。ホテルをチェックアウトして外へ出ると、雲ひとつない清々しい秋の空が広がっていました。ジミーはサンタフェ在住のトゥーディーとは次のギグまでしばしお別れです。

彼らを見ながら、ふと葛飾北斎を思い出していました。『天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得べし。(天が後5年自分の命を永らえさせてくれたなら、本物の画工になることが出来ただろう。)』と言い、卒寿で息を引き取ったとされる北斎です。

死に際の北斎には5年後の自分が見えていたのかもしれません。国もジャンルも違うけれど、情熱を持って自分の才能を磨き、極め、完成に近づけて行く事は同じです。そしてそれは自分独りでしか出来ない作業でもあります。究極とはひょっとしたら自分の一生に与えられた時間と戦う事なのかもしれません。ジミーも今はそんなライフステージを生きているのかしらと感じていた私です。私は90歳まで生きられるかわかりませんが、少なくとも彼の様に健康で元気な高齢者になりたいですね。

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