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New Yorkでの不思議な出会い、Edwige Belmore

Ayaka Nishi

New Yorkにいると色んな不思議な出会いがある。7年前の彼女、Edwige Belmoreとの出会いは、私のNew Yorkライフの中でも、本当に印象的で特別な出会いだった。

あるギャラリーのオープニングレセプションに行って知り合った人に、「この後、もう一つ近所のアパートでパーティがあるから、一緒に行かない?」と誘われ、別のパーティについていた事があった。「知ってる?ここ、昔キース・へリングが住んでたアパートなんだよ。」と言うので、「本当かな?」と半信半疑で部屋を見ると、壁にあのキースへリングのアイコン的なポップな絵が描かれていた。キースへリングはもうとっくにエイズで亡くなってしまったけれど、その元々住んでいたアパートにインテリアデザイナーのゲイのカップルが引き継いで住んでいてパーティをしているという事だった。

ローワーイーストサイドにあったキースへリングのアパート

ローワーイーストサイドにあったキースへリングのアパート

壁にキースへリングのイラストが

壁にキースへリングのイラストが

そのパーティには、ファッションが奇抜で変わっている、アーティスティックな雰囲気のゲイコミュニティの人たちが集まっていた。いかにも、ニューヨークのアンダーグラウンドなパーティといった感じだった。

キッチンの横に少しシャイそうでスタイリッシュな背の高い40代後半くらいの女性が立っていた。普段、シャイな私は、パーティで自分から声をかけるなんてあまりしない。でもその時は、少しお酒も入っていて、なんだか楽しい気分になっていたので、なんとなく気になり彼女に声をかけてみた。「ねえ、なんだかあなたは、とってもスタイリッシュだけど、デザイナーか何かなの?」すると、彼女は「ジュエリーデザイナーもやってるし、アートディレクターもしてるし、昔はモデルでパンクロッカーだったの。」と落ち着いたハスキーな声で言った。「へえ、パンクロック?なんていうバンド?」と聞くと、「Mathematiques Modernsというバンド。あなた日本人?私、日本でもライブしたりして、しばらく住んでたのよ。」といって、「コンニチハ」「ハジメマシテ」とおどけて片言の日本語を話した。それが、Edwidge Belmoreとの出会いだった。

左下の眼鏡をかけているのがEdwige.

左下の眼鏡をかけているのがEdwige.

彼女の話をよくよく話を聞くと、彼女はフランス人でアンディーウォーホールのFactoryを出入りしていたという80年代のニューヨークのアートシーンの生き証人の様な人だった。実はヘルムート・ニュートンにも写真を撮られたことがあったり、マックイーンやラルフローレンなど一流ブランドにモデルも務めた人だった。

彼女は私の7本の骨のブレスレットを見て、「So Sick!!(いかしてる!)」と元パンクロッカー風に言った。自分のジュエリーをスタイリッシュな人に褒めらてるのは嬉しかった。彼女は自分で作ったという道端で拾った羽根でしか作らないというネックレスを付けていた。買ったものではなく、拾ったものでしか作らないという、そのアーティスティックな感性が素敵だなと思った。そのパーティの後も、彼女と数回会う事があった。

一番印象的だったのは、コメディクラブに誘われて、一緒に行った時の事だ。そのコメディは、ゲイをネタにしたコメディだった。なんであの時、私が誘われたのかはわからない。多分誰でも良かったのかもしれない。一緒にゲイのコメディを見て大笑いしていたかと思うと、コメディショーが終わった後、彼女はいきなり大泣きしはじめた。どうやら、彼女は失恋をしたばかりで、辛さを紛らわす為にコメディーショーに行きたいと思ったみたいだった。私は彼女のあまりにも包み隠さないストレートな感情表現に驚きを通り越して、こんなに、子供みたいに純粋に自分を出せる人っているんだなと感動に近い感じの感覚を覚えた。生粋のアーティストだと思った。やっぱり、元パンクロッカーは感情表現のストレートさが違う。
私は、思わず、泣いている彼女をどう慰めていいのかわからず、とっさに思わず自分の親指にしているリングを外していた。魚のウロコをモチーフにしたリングだった。「これ、あなたにあげる」。
彼女は、「え、そんな。あなたの大切なリングでしょ。もらえないよ。」と戸惑った。でも、「いや、あなたに貰って欲しいの。」と私はリングを指につけてあげた。彼女は涙ぐんでいた。そして、家に帰る彼女をタクシーに乗せて送り出した。タクシーの窓から、涙ぐんで手を振っている姿に胸が痛んだ。その姿が、まるで映画のワンシーンの様にも見えた。そんなに、彼女の事を知らないのに、ここまで何かしてあげたいと思わせるのは、彼女の持っている不思議な魅力だったと思う。彼女にはなんだか、圧倒的な不思議な魅力があった。
最近彼女がマイアミに移ってからは、Facebookでしか見ていなかった。

9月22日の午後、彼女の訃報をFacebookで知った。
彼女の死因は公表されてないけど、なんだかわかる気がする。なんとなく危うさを抱えてる人だった。その危うさや弱さが魅力でもあったのだけど。昔彼女はドラッグ中毒だったけど、リハビリを受けてヨガで更生できたと言っていたけど、もしかしたらすでにドラッグで体がボロボロだったのかもしれない。純粋でまっすぐゆえの不器用さで、色々と苦労を抱え込んでいたのかもしれない。暖かいけれども、見ていて、痛みを感じるような人だった。いつか、彼女にモデルを頼むことができたら・・・と思っていたのに。もうそれが叶わないなんて。New Yorkのアイコン的な人をこうして少しづつ失うのはとても悲しい。

写真家のマリポールのOpen Studioの時にEdwidgeが書いてくれたサインを本の中に見つけた。

newyork-edwige-belmore-06

To Ayaka with Love
Rock on (ロックな事を続けてね。)
Edwige

彼女に偶然にも出逢えた事を嬉しく思う。
年を重ねても、彼女みたいにロックなスピリッツを持ち続けたい。
さようなら、Edwige.安らかに。
RIP Edwige Belmore

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